愛はあるのか

某CMの台詞でおなじみのこのコピー

大女優の演技のキレの良さと掛け合いのリズム感が心地よく、好きなCM

実は今の時代にとても大切な文言だと感じるのは深読みし過ぎでしょうか

例えば、高級な食材とシェフがご自身の腕前にこだわった

素敵なインテリアやセッティングの中で頂くお料理より

近くのおじちゃんとおばちゃんのやっている町中華の焼き飯に

ほっとして泣けるほどおいしいと感じたり

ブランド物の新作のバッグより

手づくりのちょっとぶさいくなネコの顔のバッグに強く惹かれたりすることがあったり

イベントにしても

こだわりの商品を集めたり刺激的なタイトル、場合によっては有名人が来場したり

でも、何だか居心地が良くなくて、行かなかったり長居出来なかったり

それより、いろんな人が自分の出来ることや好きなことを持ち寄って

交流したり、情報交換することで繋がりが拡がる

そういうイベントに行きたいし、創り上げたい

そういう場ではいつの間にか愛が充満している

ただ「売れそうだから」「見栄えがいいから」「流行りそうだから」

或いは、作り手さんの自己表現を誇示したような物

参加者がこぞって「たくさん売ろう」という場

そういうものには惹かれない

(もちろん有名店、ブランド品、ビッグイベントの中にも良いものはたくさんあります)

じゃあ、両者は何が違うのかと言えば

「愛があるのか」どうかだと思います

お客さまに対する愛、素材に対する愛、一緒に働いてくれる仲間に対する愛

口にしたり、手に取ってくれた人に対する愛、そういうものの集大成としてのお料理や商品

それが、感じ取れる方には伝わるのかな、と

今の時代の不具合の多くは「愛」があるかどうかが分かれ道ではないかと感じていて

例えばしつけや教育と虐待

様々なハラスメント

ただ、大声を出したから、使う言葉がそぐわなかったから、手を挙げたから

ということではなくて

そこに本当に相手のことを想って行ったのか、ご自分の感情をむき出しにしたのか

チーム全体のことを考えた行動なのか、ご自分の力を誇示したかったのか

「愛があるのか」どうかではないだろうか、と勝手に思っている

ただ今は色んなものの可視化が進み「分かりやすい」ことが良しとされ過ぎて

受信する側のアンテナがとても弱くなってきている

「ほのかに」とか「そこはかとなく」というもの達は

刺激の強い、分かりやすいもののかげで見過ごされることが多くなった

 ⇒この「アンテナ」についてはまた書きます

どちらが良いか悪いか、正しいか間違いか、ということではなく

人と関わっていく上で

「愛」を込められた方が

「愛」を見つけて感じられる方が

同じ一度の人生を生きるなら

楽しく幸せな日々ではないか、と私は思うのです

私と『リマポエポエ』に関わって下さる方が幸せになって頂けるように、と

色んな活動を通してそのことをお伝えしています

地道で映えないやり方で

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